「琉球畳」と聞くと、縁なしの半畳サイズで目を交互に敷く――というイメージをお持ちだろう。ところが、そもそもそういう畳は十数年前に本土で生まれ、それが沖縄に紹介され、さらに沖縄産の藺草を用いたものが「琉球畳」の俗称で喧伝された、ということのようなのだ。したがって「琉球畳」とは、ベテラン畳職人にとっては「このごろ、たまに注文のあるもの」だという。
話が複雑になった1つの理由は、沖縄在来の藺草(ビーグ、ウチナービーグ)の存在だろう。備後藺(ビンゴイ)のことで、約150年前に勝連間切で栽培が始まったと伝えられる(沖縄大百科事典による)。この藺草は、現在の本土産に比べて、茎が太くて丈夫。その分、畳の縁の処理には技術を要する。
では、この藺草が現在のビーグそのものかと言うと、そうではない。20年以上前に、福岡からビーグそっくりの藺草を導入し、これが広まったのだ。藺草栽培はむずかしい。その最たるものは、立ち枯れだが、ベテラン農家でもこの克服は容易ではないという。福岡在来の藺草が広まった最大の理由は、立ち枯れしにくいからなのだ。良いもの、便利なものは抵抗なく受け入れるのがウチナーンチュの気風と言われるが、これはその好例ではないか。
ビーグ農家は、畳表の状態で出荷するが、その工程にも違いがある。本土では、収穫後、泥染めして乾燥させるが、沖縄では泥染めはしない。そのため、青畳の風合いは薄いがきわめてオーガニック、農家は泥の粉塵にも悩まされずにすむのだ。
ビーグの産地は、本島の与那城町照間と具志川市字具志川の一部。この地域で県産ビーグのほぼ全てが生産される。この20年ほど、生産量は漸減しているが需要は多く、品薄状態。このため、最近は、中国産のビーグも輸入されている。それほど、丈夫な品質には定評があるのだろう。県産品奨励のため、とくに県営など公営住宅に多く利用されている。生産が減った大きな理由は、湿田のため機械化が進まず、それに伴い生産者の高齢化が進行したことだ。今後、基盤整備がうまく進み、世代交代も行われれば、減少に歯止めがかかる可能性も秘めている。「オキナワなんでも事典」より